音楽

2008年7月14日 (月)

リサイタル

9月28日(日)19:00から 

ルーテル市谷ホールにおいて、 

家内がソプラノリサイタルを開催します。 

幼少のころ、日本コロンビアの童謡歌手だった家内は、その後音楽大学に進み声楽を学びました。 

私が音楽関係の仕事をしておりましたので、音楽を通して出会いました。 

結婚後は4人の子供を育てながら、ピアノや声楽を教えたり、時々発表会等々の音楽活動をしておりました。 

数えてみたら歌い始めてちょうど今年で50年になります。 

その節目に、「西村和子ソプラノリサイタル・出逢いと感謝の夕べ」と題し念願のリサイタルを開催することになりました。 

先日は、チラシやプログラムのための本格的な写真撮影があり、チラシの発注も終わりました。 

昨夜も長女がチケットのデザインを仕上げ、チケットも出来上がりました。 

ゲストも決まり、ゲストとの練習も始まります。 

先日購入した2着のドレスの手直しも今月中にしなければなりません。 

リサイタル本番への準備が、着々と進んで行きます。 

ちなみに私は昔取った杵ずかでプロデュースを担当します。 

心温まるステージになればいいなと思っています。 

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2007年9月18日 (火)

音楽との出会い(Ⅵ)

音楽との出会い(Ⅵ)

カラスの歌っているオペラの全曲盤を次から次へと買い集め、海賊版まで探し求めるようになり、今度はお給料の大半がそのために消えるようになりました。

独身時代の懐かしい思い出です。

また当時はまだCDMD、ましてやiPodのようなポータブルプレイヤーなどまだ世に生まれておりませんでしたので、どこへ行くにもカラスのオペラアリア集と、カザルスのバッハの無伴奏チェロ組曲全曲と、シェリングのバッハの無伴奏ヴァイオリンの為のソナタとパルティータ全曲が入ったカセットテープを何本も持ち歩き、車を運転していた時も、電車に乗っていた時も、また歩いていた時も、そのテープが擦り切れるくらいになるまで本当によく聴いたものです。

マリア・カラス、そしてパブロ・カザルス、この二人の偉大な音楽家としての魂との出会い、言い換えるならばこの二人の音楽に対する考え方、捕らえ方、技術力、音楽性というか音楽そのもの、また人生に対する取り組み方から生きる姿勢そのものにいたるまでが、この私に強烈な影響を与え続け、この出会いがついには私自身の人生を決定付ける大きな要因となったのです。

私の音楽に関するすべての判断の基準は、この二人から学んで与えられたところのもので、そのことに私自身、無上の誇りと喜びとを持っています。

音楽と言う神様からの贈り物か、宇宙森羅三千の生命、宇宙からの贈り物か、いずれにしてもこの素晴らしい音楽との出会いに心の底から感謝、感謝、感謝です。

マリア・カラスのことにつきましては、すでに今までにも少々書かせていただいてまいりましたが、これからも折々思いついたこと、また目新しいニュース等書き続けて行きたいと思っておりますのでよろしくご支援をお願いいたします。

またまた最後までお付き合いありがとうございました。

今回の「音楽との出会い」はこれで終了です。

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2007年9月16日 (日)

音楽との出会い(Ⅴ)

音楽との出会い(Ⅴ)

初めてその人の音楽に出会い、その声を耳にしたとき、あのカザルスをはじめて聴いた時とまったく同じような衝撃を受けた人物がもう一人います。

それが「世紀の歌姫」「不出生のプリマドンナ」「永遠の女神(ディーバ)」と呼ばれているマリア・カラスその人なのです。

当時、東芝EMIからリリースされていた「マリア・カラスの芸術」と言う上下2セットで五枚組みのレコードをいきなり購入してきたのは、カラスを聴いてみようということもありましたが、それよりも色々なオペラのアリアが網羅されていたので、ちょうどオペラの勉強をしてみようと思っておりましたので、またとないセットだったのです。

そのころはまだマリア・カラスに対する知識は、テバルディのライバルであり、なにか凄いらしい、といった程度で、ほとんどまったくといってよいほどありませんでした。

そこでまずはカラスの定番といわれその代名詞にもなっているベッリーニの歌劇、「ノルマ」のなかのアリア「カスタ・ディーバ(清らかな女神よ)」を聴こうと思いました。

ハードケースからレコードを取り出し、プレーヤーにそのレコードをセットして針を置きました。

静かに前奏が始まりその長い、長い前奏が冒頭にもどるとやがて歌が始まります。

そのカラスの声が聴こえた瞬間から、あのカザルスのバッハを初めて聴いた時と、まったく同じような衝撃的な体験をすることになりました。

陰影に富んだその歌声は、張り詰めた緊張感を持って、まったく別の次元、別の世界から聴こえてきたように感じられたのです。

以来すっかりその歌声に魅せられ、熱病に侵されることになり、とうとうカラス気違いとう重い病を患うこととなったわけです。

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2007年9月13日 (木)

音楽との出会い(Ⅳ)

音楽との出会い(Ⅳ)

それは本当に生まれて初めての体験でした。

スピーカーの位置にもよりますが一般的なステレオ装置で音楽を聴く場合でしたら正面のスピーカーから音が聞こえてくるのが普通です。

しかしそのカザルスが演奏するバッハの無伴奏チェロ組曲という音楽は、正面の左右に設置した、ダイヤトーンの16センチフルレンジスピーカーを指定のボックスに自分で収め、25ミリのコーンツウィターを追加したいわば自作のスピーカーから聞こえてくるのではなく、天から降ってくるように鳴り響いていたのです。

それはまさに天からの啓示であるかのように私には聴こえてきたのです。

以来カザルスの音楽と対するときはいつも自然に敬虔な気持ちで接するようになりました。

あれからすでに四十数年という時間が経過いたしました。

ダイレクトドライブのレコードプレーヤーや、プリメインアンプもいつの間にか姿を消し、モジェラーステレオに取って代わられ、当時の自慢のオーディオ装置も今は夢の跡といったところです。

ちなみに現在その時のスピーカーは?といいますと、実は今でも健在なのです。

息子が自分のアパートの一室に据付けて、メインスピーカーとして使ってくれています。

ちょっと大きくて場所をとっていますが、いまだに結構いい音を響かせているようです。

以下次回につづく

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2007年9月 3日 (月)

音楽との出会い(Ⅲ)

音楽との出会い(Ⅲ)

バックハウス、シェリング、オイストラフ、グールド、バルヒャ、ベーム、クレンペラー、等々、等々それらの素晴らしい音楽家たちとの出会いが、どれほど私の人生を豊かにしてくれたかは計り知れません。

そんな音楽との出会いのなかでも、私にとって最も衝撃的で決定的な出会いだったのが、忘れもしないあのチェロの巨匠パブロ・カザルスとの出会いでした。

当時、音楽関係の書籍を方端から読み漁っていた私は、白水社から出版されていた、コレドール著「カザルスとの対話」と言う一冊の本と出合いました。

その本の中のパブロ・カザルスという人物に非常に強い感銘を受け、そんな人物の音楽をぜひ聴いてみたいと思ったのです。

そこですぐにレコード店に跳んで行き、その本のなかに度々書かれていたバッハの「無伴奏チェロ組曲」を手に入れることが出来ました。

家に持ち帰り、早速ケースの蓋を開き中の一枚目のレコードをレコードプレーヤーのターンテーブルに載せ針を落しました。

普段いつもレコードを聴くときのようにスピーカーの方に向ってゴロリと横になり、ひじを突き掌に頭を乗せて、横臥の状態で曲が始まるのを待っていたのです。

するとかすかなノイズの中から突然、それは本当に突然に、チェロの音が頭上の方から降りかかってきたのです。

え!そんな馬鹿なことと思った瞬間、体が自然と起き上がり正座をしていました。

そしてその音に全神経を集中して聞き入ることとなり、結局そのまま全曲を通して聴くことになったのです。

以下次回につづく

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2007年8月27日 (月)

音楽との出会い(Ⅱ)

音楽との出会い(Ⅱ)

そんななかで、ベートーヴェンに出会い、モーツアルトに出会い、バッハの音楽に出会うことになりました。

それらの音楽を演奏したり、聴いたりしているうちに、いつの間にか私自身の心の琴線を揺すぶられ、いろいろなことを感じ、心を動かされ、それらの音楽から生きる喜びや感動を与えられ、深く音楽の世界に足を踏み入れるようになっていったのです。

そうなると毎週のようにレコード店に通うようになり、次はこのレコードとこのレコード、

その次はそのレコードとあのレコード、と言うふうに小遣いの大半がレコード集めのために消えることになります。

そこで演奏会を聴きに行くときは、ほとんどのオーケストラに知り合いがいたものですから、楽屋の入り口でその知り合いのメンバーを待ち伏せして、一緒に楽屋裏から入って開演間際に舞台の袖から客席に侵入し、空いている座席に滑り込んで聞かせていただくということがしばしばありました。(あ!でももうすでに時効でしょうから、でも本当によく皆さんにお世話になりました)

それらのレコードや演奏会で、またたくさんの素晴らしい指揮者やオーケストラやソリストたちにめぐり会うことになりました。

それらのたくさんの音楽家たちからも本当に多くの音楽の喜びや感動を与えていただきました。

以下次回につづく

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2007年8月20日 (月)

音楽との出会い(Ⅰ)

音楽との出会い(Ⅰ)

音楽って本当に素晴らしいですね!!

私がクラッシック音楽をよく聞くようになったのは高校生になってからだったと記憶しています。

小さなときからヴァイオリンを習っていましたが、それまではどちらかというと音楽を聴くというよりも、生まれ育った金沢八景と言う風光明美な自然環境のなかで、その自然を大いに満喫しながら野球や卓球や釣りなどに明け暮れした日々を過ごしていたようです。

私の中学から高校時代にかけては、世の中はちょうどアメリカンポップスの全盛時代からロカビリーを経て和製ポップスの時代へと変わろうとしていた時期にあたり、ラジオから流れてくるアメリカンヒットチャートのナンバーに耳を傾けていたころを懐かしく思い出します。

最近それらの60年代のポップスがテレビのコマーシャルのBGMとしてよく使われているようで、本当に懐かしい想いをすることがありますが、そんな想いでそれらの曲を耳にしている人も結構いらっしゃるのではないでしょうか。

   

高校1年の春にあるオーケストラに所属し、その練習に通うようになると、どうしても自分たちが演奏する曲をレコードで聴いてみたくなるものです。

そこで、フルトヴェングラーの演奏では、トスカニーニでは、カラヤンは、またカール・ベームの演奏では等々いろいろなレコードを探してきては聞くようになりました。

はじめのうちは、そんな聞き比べとともにヴァイオリンの曲や協奏曲や交響曲のような管弦楽曲を中心に聞いていたようですが、やがて室内楽曲やピアノや声楽曲、さらにはオペラへとそのレパートリーも次第に広がって行きました。

以下次回につづく

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2007年5月14日 (月)

マリア・カラス、私のカスタ・ディーバ続編 そのⅧ 完結編

「カラスの前にカラス無し、カラスの後にカラス無し」であります。

Callas真紅の大輪のバラの花に「マリア・カラス」という品種があることをご存知だろうか。

その名は、バラの花の名前にまで冠されたのである。

それはまさに、不出生のプリマドンナ!「世紀の歌姫」「永遠の女神(ディーバ)」マリア・カラスにこそ相応しい花なのかも知れません。

「オナシスとの成り行き」を通して、「私のカスタ・ディーバ」のその後をお伝えできたらと書き始めましたが、いろいろな思いが交錯し、なかなかうまくまとまらず、取り留めのないものになってしまいました。

カラス気違いの私は、ことカラスの話となると、(あ!カラスのことだけではありませんでした)もう夢中になってしまい後先も何もなくなってしまうのです。

これは「気違い」という病気のせいですのでお許し下さい!!

おかげさまで楽しい心の旅をさせていただきました。

「完」

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2007年5月12日 (土)

マリア・カラス、私のカスタ・ディーバ続編 そのⅦ

こと音楽に関しては、その世界に君臨し続けた「女神」(ディーバ)であった訳ですが、一人の女性としては、あまりにも世間には疎く、恋愛に対しても純粋すぎて、決して幸せであったとは言えないかもしれません。 

24カラスが活躍したその時代は意外と短く、1942年7月、アテネ歌劇場においてプッチーニの「トスカ」を歌い、センセーショナルなデビューを果たして以来、1965年7月のコヴェントガーデン王立歌劇場での「トスカ」を歌ったのを最後に、オペラの舞台からは実質上引退しており、その間わずか23年足らずであったということに驚かされます。

カラスは、そのわずかな時間の中でオペラの歴史に大きな変革の足跡を残しています。

なかでも、埋もれていた数々のベルカウント・オペラに新しい息吹を吹き込み、それを現代に見事に蘇らせたその功績は実に大きいといわなければなりません。

以下次回につづく

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2007年5月11日 (金)

マリア・カラス、私のカスタ・ディーバ続編 そのⅥ

生前カラスは、インタビューに答えて、「私にとって一夜として平和な夜はありませんでした」と答えています。

カラスにとって舞台に立つということは、常に口さがの無い聴衆(もちろん評論家やマスコミも含めて)を前に120%の完璧さを与えなければならなかったというのです。

100%では当たり前、彼らは常に120%を与えなければ満足しませんでした。

またどんな些細なミスでも見逃すまいと耳をそばだてていたのです。

ほんのちょっとでもミスをしようものなら、翌日の世界中の新聞は、「カラスはもうだめだ」「カラスは衰えた」と書き立て、一夜にして過去の人にされてし33まうからです。

体調等で自分が120%与えることが無理だと判断ずれば、たとえどこの国の大統領が聞きに来ていようが、天下のスカラ座の舞台であろうが、自分の芸術を守るためには、何のためらいも無く、その場でその公演をキャンセルしてはばかるところが無かったのです。

それが大きくスキャンダラスに報道されたことが、幾多のカラス伝説を彩ってきたのです。

(写真は、1958年ローマ歌劇場でのイタリア大統領をはじめ政治家や多くの有名人が出席した「ノルマ」公演の第一幕を歌い終わって公演をキャンセルし、退場するカラス。)

そんなカラスにやっと平和な夜が訪れたのです。

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