日記・コラム・つぶやき

2008年6月 1日 (日)

私と中国との接点Ⅷ

当時中国は、胡耀邦総書記が打ち出した「四つの近代化」路線が軌道に乗り始めたところで、「眠れる獅子」と言われていた中国が、ついに目を覚まして徐々にではありますが動き出したところだったのです。
人々はみな自信に満ちあふれ、何処へ行っても近代化への熱気と活気にあふれていましたので、まさに国中が躍動しているようでした。
これは凄いことになるな。
この勢いで発展して行けば、日本は遠からず追い越されることになるだろう、とそのとき正直言って大きな脅威を感じたことを覚えています。
今それが現実になってきていると感じているのは私だけでしょうか。

この訪中で全国青年連合会の書記局の方々や中国共産党青年団の書記局の方々と知り合うことができました。

それが後の「日中国交正常化15周年記念」の公式行事の総プロデュースをさせていただくきっかけになった訳です。

またいつの日にか、その件については書き記しておきたいと思っています。

8回にわたりお付き合いいただき心から感謝いたします。

私と中国との接点 完了

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2008年5月31日 (土)

私と中国との接点Ⅶ

極めつけは上海での最後の一夜のことです。
上海工業展覧館の噴水広場で、夜の9時ころから開催された野外でのパーティーが終わり、それぞれが10台くらいのバスに乗り込み、真っ暗な街の中へ走り出した瞬間です。
この時のためだけに私たちのバスが通る街路と、上海中のすべての建物のフチドリに取り付けられていた灯りが一斉に点灯されたのです。
ほんの少しずつの時間差で点灯しながら街の輪郭が暗闇の中から現れて来る、そのなんとも幻想的な光景は本当に美しくも感動的な瞬間でした。
ホテルまでの道路の両側には、すでに夜半を過ぎていたにも拘わらず、何処から湧いて出て来たのかと思われるぐらい大勢の一般市民の人々が、その灯りに浮かび上がり連なりあふれて、私たちのバスに向かって何か大きな声をはり上げながら懸命に手を振っていました。
私たちもそれに応えるべく窓を一杯に開けて身を乗り出し、覚えたばかりのたった二つの上海語で「こんにちわ」「また合いましょう」を声も限りに叫んでいました。
ホテルの錦江飯店に戻ると、夜中にも拘わらず最上階のレストランに集まるようにとのことで、そのレストランに行ってみると、無数のテーブルの上には、上海蟹が山と詰まれていました。
みんなが手を出しその山が崩れると、すぐに新しい山盛りの大皿が出て来ます。
皆もう下を向くことも出来ない程、気持ち悪くて苦しくなるほど上海蟹を食べたことを思い出します。

以下次回につづく

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2008年5月30日 (金)

私と中国との接点Ⅵ

北京から西安への移動は、飛行機が足りなかったので、中国空軍の旅客機を利用することになりました。

皆が席について安全ベルトを着用するかしないうちに、ほとんど滑走もせず、いきなり飛び立ったのには本当に驚きました。

毎日どこへ行っても、早朝から夜遅くまでスケジュールは一杯でした。 現地の青年達との交流会、工場や学校への視察、その合間を縫っての観光等々、またお昼と夕飯はほとんど歓迎レセプションが組まれていました。

北京では、故宮博物院(紫禁城)参観、北京ビール工場見学、イワエン参観、首都体育館での交流会、北京国際クラブでの歓迎宴、中南海参観、明の13陵参観、八達嶺(万里の長城)参観、中国側で用意をしてくださった市内コンサートホールでの演奏会、等々の行事が用意されていました。

西安では、秦始皇帝陵見学、華清池見学、兵馬俑視察、紡績工場参観、西安賓館での歓迎招待会、興慶公園での交流会、等々の行事に参加いたしました。

上海では、第二中学校の授業参観、上海市青年宮の余暇文化生活を見学、上海体育館での交流会、等々を訪れました。

その一つ一つに中国側の誠意と熱烈歓迎の心が感じられました。

以下次回につづく

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2008年5月28日 (水)

私と中国との接点Ⅴ

10月1日、天安門の前に臨時にセットされた巨大な観覧席、そのスタンドの中央に鄧小平閣下と胡耀邦総書記が座り、綺羅星の如く首相、副首相や要人たちが固めたその周りに3000人の日本の青年たちの席が用意されていました。

朝の9時頃から建国35周年を祝う国慶節のパレードが始まりました。

私たちが見守る天安門前の大通りを、横一列に100名が隊列を組んでそれぞれが精一杯楽しみながら左から右へと進んで行きます。

延々と続く人の波。波。

そのパレードに参加した人の人数はなんと40万人だったそうです。
そして車を改造し舞台の上では、オリンピック選手達が見事な演技を披露しながら通り過ぎて行きました。

やがてそれは、軍事パレードへと変わって行きます。

歩兵隊から自転車隊、バイク隊、サイドカー隊、ジープ隊、トラック隊、戦車隊と続きます。
仕舞いにはミサイルを搭載した超大型のトレーラーまで登場しました。
何か、中国の軍事力を世界に誇示する為に日本の青年3000人が、そのツマにされたのではと勘ぐってしまうぐらい、それは凄いものでした。(当たらずとも遠うからず、でしょう)

さて国慶節のパレードがあった10月1日夕刻、私たち日本の青年3000人は、天安門前広場に集められました。
そこに歓迎のために現れた中国の青年たちの数が、なんと10万人です。
メモ帳片手にあちこちで筆談の輪が何重にも出来ていました。
やがて頭の真上で轟音とともに花火が開き、火薬を包んでいたボール紙のカスが、ばらばらと降ってきます。

それが休むことなく約2時間も続いたでしょうか。

頭の上にハンカチをかぶりながら、もうもみくちゃ状態でした。

以下次回につづく

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2008年5月27日 (火)

私と中国との接点Ⅳ

9月29日の夜、人民大会堂で行われた、歓迎レセプションは、鄧小平閣下や胡耀邦総書記、要人達を始め中国の青年3000名が一緒に参加した6000名によるテーブル会食会でした。
一テーブルに20人ぐらい、数え切れないほどのテーブルの数が並ぶ会場は、余りに広く向こう側が霞んでいるという程すさまじい状態でした。
私たちは前日28日の晩、北京市内のコンサートホールで、全青連がお膳立てをしてくれた室内楽の演奏会をさせていただきました。
そのとき来場されたある副首相から、是非みんなにも聞かせたいとの要望によってそのレセプションの会場で急遽演奏をすることになりました。
ヴァイオリン2、ヴィオラ、チェロの弦楽四重奏で何曲か演奏をさせていただきました。

以下次回につづく

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2008年5月25日 (日)

私と中国との接点Ⅱ

さて「3000人の日中青年友好交流」には、日本共産党を除く全国のすべての青年団体からの代表が3000人参加することになりました。
日本青年会議所が窓口となり、全国の青年会議所をはじめ、ロータリークラブ、各政党青年部、全国の各大学、芸能界(宇津井健、小林(おしん)、芹洋子)、音楽界等々さまざまな団体から、それぞれ5名ずつが選ばれました。
私の所属していた音楽界(クラシック)からは、団伊久磨さんのところから5名、私のところから特別枠をいただき7名、計12名が参加させていただきました。
3000人が、4つのコースに分かれて別々に訪中し、9月30日に全員が北京で合流することになりました。
私たちのグループのコースは、9月28日に北京に入り、10月1日の国慶節(建国記念日)の式典に、他のコースで参加したメンバーと一緒に3000名全員で参加し、その後西安、上海を訪問し10月7日に日本に帰国するというコースでした。



以下次回につづく

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2008年5月24日 (土)

私と中国との接点Ⅰ

私と中国との接点は、今から二十数年前のことになります。
1983年11月26日、当時の中国共産党総書記であった、胡耀邦が来日し、NHKホールにおいて青年を対象とした講演会がありました。
そのとき、「 さて、中日両国の青年の相互理解を深め、友情を深め、友情を強めるために、私は中国の人民と青年を代表して、貴国の友好的な青年諸団体に対し、次のような招請を行います。来年の9月あるいは10月、さわやかな秋に、貴国から3千人の青年のみなさんをわが国に1週間お招きしたいと思います。」という発言がありました。
その後1984年10月、建国35周年の記念日に「3000人の日中青年友好交流」を実施するということで正式に日程が決まりました。
それを受けて中国全国青年連合会秘書長カレイガク氏がその準備のために来日され、縁あって親しくお付き合いをさせていただくようになり、訪中のきっかけを作ってくださったのです。

このカレイガク氏は、度々日中の架け橋を演出された方です。
戦後初めて上海歌舞団が国交正常化前に来日した折、通訳兼責任者として随行されました。
帰国するに際し、当時の全日本空輸社長であった、岡崎嘉平太氏より「是非日本の飛行機で送らせて下さい」との申し出を受けたそうです。
カレイガク氏はその場から直接、周恩来首相の元に電話を入れ指示を仰ぐと、周恩来からは即座に、「国交正常化に向けての復とないチャンスです。喜んでお受けしなさい。」との指示だったそうです。
そこで戦後初めて、日本の飛行機が、全日空1機と日本航空1機の計2機が上海まで飛ぶことになり、国交正常化に向けて大きく歴史が動くことになったのです。
その後、1972年、国交正常化調印のため田中角栄元首相が訪中する際、中国側の受け入れの責任者として度々来日し、田中家のお米、味噌、醤油に至るまですべて同じものを用意したそうです。
バセドウシ病だった田中首相が北京空港に到着し、飛行機からそのまま特別貴賓室に案内された時その入口に、大きなコップに入った氷水が用意されていたことに田中首相自身が大変感動されていたそうです。
カレイガク氏は3000人の日中青年友好交流を機に全青連を卒業され、国立銀行の一つである「中国国際投資信託公司(CITIC)」の日本処総代表としてしばらくの間、何年間でしたか東京の赤坂にお住まいでした。

以下次回につづく

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2008年5月21日 (水)

苦い思い出

調布の爆弾騒ぎで昔の思い出がよみがえってきました。

古い話ですが、今から50年くらい前の、小学校の4,5年生のころのことです。私が生まれ育った所が、横浜市金沢区という所です。金沢文庫の釜利谷の山奥に東洋化工という会社がありました。その工場で火薬(TNT火薬)2Tonが爆発したのです。(今回の爆弾が1Tonですからその倍)

3つくらい山を隔てていたのですが、「ドドドシーン」という音とともに、校舎の窓ガラスはすべて割れ、天井が煤とともに落ちてきて、一瞬真っ暗になり、何が起こったのかわかりませんでした。廊下に飛び足すと、山の上から黒いきのこ雲が立ちのぼっていました。やがて原因がわかりました。第2次爆発の可能性があり工場には、まだ20Tonの火薬が残っているということでした。この火薬に引火して爆発すると、六浦には東京ガスの大きなガスタンクが2基あり、金沢区・磯子区は全滅するだろうということでした。

私たちは、校庭に出て、避難をしてきた他校の生徒たちと一緒に、整列をしてしゃがみ込み、頭から座布団をかぶり、最後になるかも知れないその時を待つことになりました。

実際には、消防庁の11人の決死隊が類焼をくい止め、2次爆発を防いでくれたのです。 その間、午前10時頃から、安全が確認された午後3時過ぎまでずっと校庭での待機が続き、担任の先生が戦時中の話をしてくれたのが懐かしく思い出されます。

今回の調布の事件は、何事も無く処理が終わり何よりでした。

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2008年5月16日 (金)

あたー痛い!

このところ腰の具合もだいぶよくなり、ほっとしておりました。

ところが一昨日朝、歯を磨きうがいをしている最中、いつものように気をつて洗面台に手を突き支えにしながらゆっくりと下を向いた瞬間、またグキ!と腰に痛みが走りました。

幸い今回は、それほど重症ではありませんが、やはり立ち上がって歩き出す時、しばらくは情け無い格好で歩かなければなりません。

困ったものです。

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2008年5月 8日 (木)

品川区民公園

GWの最終日、久しぶりに品川区民公園に散歩に行ってまいりました。

自宅から徒歩7~8分のところにある品川区民公園の中には、品川水族館や海上レストランがあります。

汐の満ち引きのある海水の池を中心に、遊歩道やサイクリング道が周囲をめぐる緑豊かな人口の海浜公園です。

その池には、40~50センチぐらいの大きなボラやスズキ、石鯛、黒鯛といった魚たちが回遊しています。

心地よい潮風を受けながら、季節季節に咲く花を愛でたり、魚の泳ぐ様子に見入ったり、水鳥の餌をついばむ様子を見ながら池の周りをゆっくりと歩きます。

疲れたら近くに置かれたベンチで一休みです。

びっくりしたのは、水族館の脇にあるウッドデッキの真ん中に、コンクリートの丸い大きな砦のような建物が池の中から出現していたのです。

「あー、あれが新しく出来たアザラシ館なんだ」

近づいてみると本館とは別料金になっているようでした。

こんなに近いのにずいぶん来ていなかったことに気づきました。

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2008年5月 4日 (日)

ルノワール+ルノワール展

昨日、渋谷Bunkamuraザ・ミュージアムで5月6日(火)まで開催されている、ルノワール+ルノワール展に家内と行ってまいりました。

ルノワールは、最も好きな画家の1人ですのでぜひ観たいと思っていたのですが、やっと実現しました。

画家オーギュスト・ルノワールの作品と映画監督となったその息子ジャン・ルノワールの作品を同時に紹介すると言うちょっと変わった試みです。

父親であるオーギュスト・ルノワールの作品だけでもパリのオルセー美術館からの出展された15点をはじめ、各国から全49点が展示されていました。

生涯に2000点以上の作品を残したといわれているルノワールです。

今回は、世界各地の美術館で実際に見たことのある作品や、多数出版されている画集で見覚えのある作品のほかに、初めて観る作品も多数くあり、とても収穫のある展覧会でした。

久しぶりにルノワールの世界に浸ることができ、幸せなひと時を過ごすことができました。

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2008年5月 2日 (金)

ぎっくり腰

5月1日早朝、いつものように顔を洗ったあと、着替えをしようとした時、グキ!と腰に激痛が走りしばらく動けなくなってしまいました。
腰の痛さを何とかこらえて、巣鴨の聖堂までたどり着きましたが、そこでその痛さに動きが取れなくなってしまいました。

近くのデニーズで一休みしながら診療所の開くのを待つことにして、会社に連絡し、お休みを頂くことにいたしました。

診療所で診ていただき、塗り薬を頂いてやっとの思いで家に戻りました。

今日は出社いたしましたが、腰の痛みはまだとれず半分腰をかがめた情け無い格好で歩いています。

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2008年4月29日 (火)

花水木その2

巣鴨駅から国道17号を千石に向かって歩くと、約300mほど両側の街路樹に「花水木」が植えられています。
ところがもう既に花の盛りは過ぎてしまっていたのです。

今日は、品川区立中小企業センターでゲーム会がありました。
その帰り道、いつもの様に大井町商店街を大井町駅まで歩きました。

そこで今日初めて気が付いたのですが、右側の街路樹が「花水木」だったのです。
それはイトーヨーカ堂の前まで続き、過ぎ行く春を惜しむかのように今を盛りにその白い花を精一杯つけていました。

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2008年4月28日 (月)

花水木

もう盛りも済んでしまったのですが、名前が分からず前から気になっていた花がありました。
街路樹や家々の庭などにも、桜が散った頃から可憐な白い花を付ける木があります。(ピンクの花のありました)
調べてみたら「花水木」という木であることが分かりました。

1915年(大正4年)当時の東京市長であった尾崎行雄が、アメリカワシントン市に桜の木を寄贈したことは有名な話です。
ポトマック河畔の桜は今も名所になっています。

その時、その返礼としてアメリカから贈られたのが別名「アメリカ山法師」、この「花水木」だったと言うことです。

「へえーそうなんだ!」と思って見直してみると、また何か感慨深いものがあります。

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2008年4月 2日 (水)

花冷え

桜の花が見事に咲きそろう頃、肌寒さを感じる日々が何日か続きます。

「花冷え」といわれています。

昨日も一昨日も、まさに花冷えの陽気でした。

見事に満開に咲き誇る桜の花の下には、あまりの寒さに、さすがに夜桜を楽しもうと言う人もほとんどいません。

何組かの会社帰りのサラリーマンのグループが、広げたシートの上で缶ビールやカップ酒を片手に奇声を発し合っていても不思議ではないのですが、皆閑散とした公園の中の桜のトンネルの下を、襟を立てて家路に急いでいました。

この花冷えのおかげで、結構風が強かったのにもかかわらず、桜は散ってしまうこともなく、もう少しお花見の楽しみを先伸ばしにしてくれているようです。

自然は味な計らいをしてくれるものです。

でもくれぐれも風邪などひきませぬようにご注意を!!

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2008年3月29日 (土)

満開です

桜の花が満開です。

本当に素晴らしいですね!
今日が一番でしょうか。

水神公園の桜も、団地の中庭の桜も、巣鴨駅脇の線路沿いの桜も、お見事と言う以外に言葉がありません。
まさに日本の春爛漫です。

皆さんのところの桜はいかがですか?

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2008年3月23日 (日)

春本番です

今朝、水神公園(JR大森駅から大井町方面に向かって線路の右脇にある細長い公園)の桜の木を見上げると、枝先の幾つかの蕾みがほころび小さなピンクの桜の花が、凛とした朝の冷たい空気にその顔を覗かせていました。

毎年一番最初に花開く桜木には、もう既に半開きの蕾みがいっぱい!
こちらの木は、淡いピンクと言うよりどちらかと言うと白い花を開き始めています。

さー、いよいよ春本番です!!!

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2008年3月 5日 (水)

引越しです

引越しです

プロジェクトメンバーの引越しが決まりました。

来週の木曜日か金曜日、13日か14日の日に、現在の9階の富士山の見えるデスクから6階に引っ越すことになりました。

富士山は今週に入ってから一度もその姿を見せておりません。

3月に入ると春霞が立つようになり、風の強い晴天の日以外は、霞に隠れて富士山はほとんど姿を現さなくなります。

家々の庭のチンチョウゲの花がほころびだし、甘酸っぱい香りをほのかにまきはじめました。

本当に春がそこまで来ているのですね。

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2008年3月 3日 (月)

日曜日の午後は

昨日は日曜日、午後から娘夫婦が時間が取れたので我が家に遊びに来てくれました。
遅い昼食を取ってから家内と4人でキャッシュフローゲームをいたしました。
娘夫婦二人ともキャッシュフローゲームは初めてでしたが、始まるとすぐに覚えて慣れてきて、結構楽しんでくれたようです。
ラットレースもそれぞれ脱出することが出来、またファーストトラックも全員上がることが出来ました。
これからも是非ゲーム会等に参加する時間を作って、そこで多くのことを学んでほしいし、それを実生活の上に充分に生かして行ってほしいと心から願っています。

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2008年2月28日 (木)

続・今日も富士山が見えます。

オフィスの窓外に続くビル群の上の、遥か彼方に横たわる丹沢の峰々の装いと、雲ひとつない空の色とが溶け合う稜線の上に、真っ白な雪を頂いた富士山がその凛とした美しい姿を悠然と見せています。
ここ毎日のように顔を見せている富士山ですが、いつ見ても本当に素晴らしいですね。
「わあ!富士山だ!!」と思っただけで元気をもらえるような気がします。
富士山に感謝!感謝!!です。

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2008年2月20日 (水)

今日も富士山が見えます。

今朝は雲はないのですが、ちょっと靄が掛かっているのか、富士山はうっすらとその姿を見せています。
これから一日一日暖かくなり気温が上がってくるとだんだんと霞の中に飲み込まれて見えにくくなっていくのでしょう。

ついこないだまで枯れ枝のようだった桜の木の枝先には、堅い蕾ではありますがもういっぱいに付いています。
春がついそこまで来ているようです。
四季の移り変わりが肌身で感じられます。
自然というのは本当に凄いですね!素晴らしいものですね!!

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2008年2月 8日 (金)

わあ!富士山だ!!

今朝、出社して笹塚ビルの9階の窓の外を見ると、そこには雪を頂いた富士山がその美しい姿をくっきりと見せていました。
今までいた7階からでは見られませんでした。
左の裾が少しマンションの陰に隠れていましたが、雄大な富士山の佇まいはいつ見ても素晴らしいものです。

3月に入ると霞が立ってしまい東京からは見られなくなります。
晴れて雲がなく空気が澄み渡っていないとなかなか見られません。
2月中あと何回見られるでしょうか。
また楽しみが一つ増えました。

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2008年2月 5日 (火)

やられたー!食中毒 大当たり

朝6時20分、電車が東京駅に停車した時、息子から電話が入りました。熱が39度9分あって苦しいので薬とアクエリアスとヨーグルトを買ってなるべく早く来て欲しいとの事でした。

朝のお参りを済ませ、家内と二人で巣鴨の西友で買い物をして、練馬の富士見台へ向かいました。

駅前の喫茶店で薬局の開くのを待って、風邪薬と熱さまシートを購入して息子の家に急ぎました。

凍った路面に足を取られながら道を行く途中、目の前で停車中のトラックにスクーターがドカン!と後ろから衝突。トラックはそのまま走り去ってしまいました。
残されたスクーターは、前の部分がぐちゃぐちゃになってしまって、運転していた青年は、しばし呆然としていました。
大丈夫と尋ねたら、体はまったく大丈夫です。とのことで一安心

そんなことに遭遇しながら何とかた息子の家にどり着きました。

話を良く聴いてみると、夕べ冷凍食品を食べた直後、急に気持ちが悪くなり吐き気がして、食べた物を全部吐いてしまったのだそうです。それから下痢をもよおし熱が出て寝込んでしまったと言うのです。

わあーやられた!と瞬間思いました。
これは風邪などではなく、間違いなく食中毒の症状です。

食べた冷凍食品は「のりっこチキン」
裏を見ると、販売者ジェイティーフーズ株式会社とあります。
そうです今話題のあのJTの冷凍食品です。
良く見ると「香ばしい有明のり」「有機丸大豆醤油」「九州産若鶏、安心咲鶏使用」と書いてありますが、本当に有明産ののりや九州産の若鶏を使用しているのでしょうか。
時節柄疑ってしまいます。

早速JTフーズのお客様相談室に電話を入れてみました。
電話が込んでいてなかなかつながりませんでしたが、やっとつながり事情を説明すると、まず「病院に行って診てもらって領収書を送ってくれればかかった料金をお返しします。」「商品の残りを返品してくれれば料金をお返しします。」との事でした。

商品は早速送り返そうと思っています。

幸い息子は全部吐き出したのでこのくらいで済んだのだと思います。
熱も下がり、少し落ち着いて来た様子にひとまず安心いたしました。

世間をにぎわすニュースは、いつも他人事に聴いていましたが、まさかのまさかと言うことが本当にあるのですね。

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2008年1月16日 (水)

感謝すること

今日は「感謝すること」を書き出してみました。
ざーと書いてみたら22項目書き出すことができました。

書いているうちに自分はなんて幸せなのだろうと心の底から思えてきました。
そんなことにもまた感謝です。

でもまだまだ、もっと感謝しなければいけませんね。
普段気が付かないことの中にも感謝すべきことがたくさんあるはずです。
一つでも多くのことに感謝できる自分でありたいと願っています。

その一つ一つに「ありがとう」と言いましょう。

皆さんもぜひやってみて下さい。

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2008年1月 4日 (金)

北京ダック

正月3日は、お台場のホテル日航東京の中華レストラン「唐宮」でランチをいただいてまいりました。

家族全員でと思っていたのですが、次女はスノボーで新潟、3女も不参加で、結局家内、長女夫婦、長男、私の母、と私の6人になってしまいました。

ともかくふかひれスープと北京ダックがどうしても食べたいと思っていましたので「唐宮」と言うメニューにいたしました。

「特製盛り合わせ前菜」で出されたボタン海老の紹興酒漬けは、初めての味で、その美味しさに一同思わず「わー美味しい」と声を上げるほどの美味しさでした。

その後に出てきたお目当ての「タラバ蟹と岩海苔入りふかひれスープ」の美味しいこと。
タラバ蟹の歯ごたえと岩海苔のかすかな磯の香りとしっかりとしたスープの味が醸し出すそのハーモニーに溶け込んだふかひれの、絶妙の舌触りは本当に素晴らしいものでした。

つぎが「こんがり焼けた北京ダック」、これは期待が大きかっただけにちょっと「?」という感じでしたが、念願の「北京ダック」に舌鼓を打つことができました。
一緒に出てきたのが「海鮮のすり身の湯葉挟み揚げ」、こちらは一風韓国のチヂミのようで、それを塩でいただくのですが、これがまた馬鹿美味でした。

つぎは「牛肉と野菜の炒め 芋で作ったお餅と共に」です。
これはちょっと濃い目の味付け、でもとても美味しくいただきました。

そのつぎが「有頭大正海老のチリソース煮」です。
取り皿に取り分けていただいた海老はただ1っ匹、約15センチは有ろうという代物、こんな大きな海老のチリソース煮は初めてでしたが。さすがに味も最高でした。

最後が「豚肉旨煮あんかけ自家製おこげ」です。
豚肉の苦手な私は、揚げたてのおこげにかかったあんかけの豚肉をよけながらカリカリサクサクのおこげを楽しませていただきました。

デザートは果肉入りの「マンゴープリン」でした。

昨年は長女の結婚式で九州長崎に行ったり、アメリカへの旅行があったりで、マイレージがたまり、おかげさまでこのお正月にみんなで楽しく、美味しいお食事のひと時を過ごすことができました。
また毎年こんな時間を持てたらいいな、持ちたいなと思いました。

本当に感謝感謝です。ご馳走さまでした。

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2008年1月 1日 (火)

あけましておめでとうございます

新年、明けましておめでとうございます。

皆様には、善き新年をお迎えのことと存じます。

おかげさまで私たちも、2008年を清々しく迎えることができました。

今年こそは、夢への確かな一歩を踏み出し、何としてもその扉を開きたいと心に強く期しております。

本年もよろしくお願い申しあげます。

2008年が皆様にとりまして素晴らしい年となりますようお祈りしております。
皆様のまたの御来訪を心からの感謝を持ってお待ちしております。

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