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2008年5月24日 (土)

私と中国との接点Ⅰ

私と中国との接点は、今から二十数年前のことになります。
1983年11月26日、当時の中国共産党総書記であった、胡耀邦が来日し、NHKホールにおいて青年を対象とした講演会がありました。
そのとき、「 さて、中日両国の青年の相互理解を深め、友情を深め、友情を強めるために、私は中国の人民と青年を代表して、貴国の友好的な青年諸団体に対し、次のような招請を行います。来年の9月あるいは10月、さわやかな秋に、貴国から3千人の青年のみなさんをわが国に1週間お招きしたいと思います。」という発言がありました。
その後1984年10月、建国35周年の記念日に「3000人の日中青年友好交流」を実施するということで正式に日程が決まりました。
それを受けて中国全国青年連合会秘書長カレイガク氏がその準備のために来日され、縁あって親しくお付き合いをさせていただくようになり、訪中のきっかけを作ってくださったのです。

このカレイガク氏は、度々日中の架け橋を演出された方です。
戦後初めて上海歌舞団が国交正常化前に来日した折、通訳兼責任者として随行されました。
帰国するに際し、当時の全日本空輸社長であった、岡崎嘉平太氏より「是非日本の飛行機で送らせて下さい」との申し出を受けたそうです。
カレイガク氏はその場から直接、周恩来首相の元に電話を入れ指示を仰ぐと、周恩来からは即座に、「国交正常化に向けての復とないチャンスです。喜んでお受けしなさい。」との指示だったそうです。
そこで戦後初めて、日本の飛行機が、全日空1機と日本航空1機の計2機が上海まで飛ぶことになり、国交正常化に向けて大きく歴史が動くことになったのです。
その後、1972年、国交正常化調印のため田中角栄元首相が訪中する際、中国側の受け入れの責任者として度々来日し、田中家のお米、味噌、醤油に至るまですべて同じものを用意したそうです。
バセドウシ病だった田中首相が北京空港に到着し、飛行機からそのまま特別貴賓室に案内された時その入口に、大きなコップに入った氷水が用意されていたことに田中首相自身が大変感動されていたそうです。
カレイガク氏は3000人の日中青年友好交流を機に全青連を卒業され、国立銀行の一つである「中国国際投資信託公司(CITIC)」の日本処総代表としてしばらくの間、何年間でしたか東京の赤坂にお住まいでした。

以下次回につづく

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